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2010年10月30日 (土)

斜里商店街にヒグマ現る&クマの凶暴事件

10月19日朝刊に下記の写真が載っていた。

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札幌近郊でもヒグマの情報はあるが、のこのこと街のど真中まで出没するとは、クマさんも何を考えているのか(笑)。

今年は山の笹や木の実も豊富で食べ物に困っていない。

聞くところによれば、クマはじゃれあっていたとか、もはや、山暮らしは飽きたのかも。

この結末は射殺、クマさんのご冥福をお祈りします。

北海道のクマはヒグマで凶暴。

最近私の住んでいる札幌市手稲区にも出没している。

ヒグマの凶暴な事件を一つ・・・気の弱い方は絶対読まないで下さい!

古い事件ですが大正4年12月9日、苫前郡苫前村三毛別御料に入植した15戸の開拓農家の一つ大田三郎宅で惨劇は幕をあけた。

要吉(59)が昼食をとりに12時頃家に戻ると、屋内はシーンと静まりかえり、薄暗い炉端裏の片隅に幹夫(6)が佇んでいた。要吉は幹夫の傍に行き、小さく肩をゆすった。

重心はくずれ幹夫の身体は床に崩れおちた。右側頭部に親指大の穴があいており、咽喉がえぐりとられすでに息絶えてた。

事態を聞きつけた集落の男衆が家の中で見たものは、無残に切り裂かれた血だらけの夜具と、板壁一面に押された真っ赤な手形の跡であった。現場に残っていた足跡からクマに襲われたことは一目瞭然で大田宅の内妻マユ(34)の姿はそこになく、クマが逃げたと思われる道筋に、点々とした血痕とマユを引きずったと思われる形跡が林の中へと続いていた。

よく10日、マユ捜査のため男衆は班を組んで林に入った。大田宅から150メートルの所で、突然クマに出くわした。

1人が驚いて銃を撃ったが不発だった。クマは意外にも逃げた。

クマが飛び出して来たトドマツの根元からマユの頭蓋骨とほとんど食いつくされた腰下だけの両足が見つかり、おびただしい血痕で目覆うばかりであった。

葬式は恐怖のあまり人は姿を見せず、参列者は喪主のほか6人だけであった。大田の主が酒をふるまっていた夜の8時頃、板壁が大音響とともに打ち破られ、ヌッとクマが顔を出した。男衆は銃を撃ったのでクマは闇夜に消えた。

大田宅から500メートル離れた明景安太郎宅は、男衆がいない家の女や子供たちの避難場所になっていた。

屋内には、妻のヤョ(34)、長男力蔵(10)、二男勇太郎(8)、長女ヒサノ(6)、三男金蔵(3)、四男梅吉(1)、斎藤タケ(34)、三男巌(6)、四男春義(3)と要吉ら10人が居合わせていた。

突然居間のあたりで激しい物音と地響きがして、壁が破られクマが飛び込んできた。クマは「まず梅吉を背負いながら裕次郎を抱えていたヤョに向かった。梅吉の足腰に噛みつき親子3人を居間にひきずり、悲鳴をあげるヤョの頭に数度噛みついた。そのとき要吉は隅に隠れようと物音をたてたため、クマは要吉に向い、尻から右腰にかけて肉をはぎとった。

隠れる間もなく側にいた金蔵、春義は一撃で叩き殺され、巌は瀕死の重傷を負った。

野菜置場に逃げ込んだタケは我が子の泣け叫ぶ声で顔を出した所、クマはすぐさまタケを見つけ、いきなりその体に爪をかけ、部屋の中ほどまで引きずった。臨月の身であるタケは、腹をやぶらんでくれ、咽喉を食ってくれと絶叫しつづけたが、クマは生きたままタケの腹を引き裂き、胎児を床上にかき出した。

クマはタケの上半身から人骨をバリバリと噛み砕きながら食べ始めた。

まだ続くがあまりの悲惨さに書くのをやめます。

参考資料

北海道新聞

北の事件簿  合田一道+一道塾

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