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2011年6月23日 (木)

神威岬

仕事の帰り6月21日神威岬へ行ってみた。当日は強風が吹き荒れ観光客もまばら、もう少し荒れだしたら神威岬の遊歩道は閉鎖されるところであった。何はともあれ岬へ行ってみることにした。強風によりカメラのぶれが生じボケ画像もあるが我慢してもらいたい。

北海道積丹郡積丹町大字神威岬にある岬。ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属している。

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入口の遊歩道

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女人禁制の門

日本海有数の海の難所、その昔義経を慕う純真な首長の娘の怨念が女性を乗せてここを通る船を転覆させたことから、長くこの一帯は女人禁制となっていたが、1850年代に解除された。

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斜面にはエゾカンゾウが咲き乱れていた

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遊歩道は駐車場から約2km続く(徒歩で20分から30分)

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崖の高さは80m、海の透明度は20m

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大蛇のように曲がりくねった半島

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この灯台は北海道庁が明治21年(1888年)から6年間にわたって20基の灯台を建設をした最初の灯台であり、明治21年8月25日に初点灯した。

灯台が出来た明治21年には3名が勤務し。灯台にたどり着くには余別の集落から片道4kmもの険しい山道を登ったり、降りたりしていた。特に岬に近づくと崖が続き一歩踏み外せば海に転落してしまう怖いところが何か所もあり、子どもや女性にとっては困難を極め、灯台の職員や家族、灯台を訪れる人は、海岸の大きな石を飛び跳ねながら伝って歩くのが普通であった。

生活は、天水を貯め、これを生活水として利用し、電気のない時代ですのでランプを灯し、食料は自給自足が欠かせなかったようですが、米や味噌、醤油、塩といった日用品は木船の備船で買い出していた。

神威岬灯台は昭和35年(1960年)の無人化になるまで職員90人とその家族により守られていた。

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神威岬灯台と職員住宅(撮影時期は不明)

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神威岬の先の尖塔 カムイ岩その向こうの小さな岩はメノコ岩

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電磁岩

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はっきりしませんが、先端の岩は水無しの立岩だと思う?

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他に立入禁止になっている念仏トンネル、全長60mがある

大正元年(1912年)10月の天皇誕生日に灯台長婦人と2歳の次男、補助員の奥さんがお祝いの食料品を買い出しに余別まで行く途中大波に飲まれ行方不明となった。村人たちは心を痛め協力してトンネルを掘ることになり、手にタガネやハンマー、そして掘り出した岩を運ぶモッコなどの道具を持って集まり、光の届かない真っ暗な中、一ノミ、一ノミ掘り続け、7年の歳月をかけて大正7年(1916年)に心暖まるトンネル(念仏トンネル)が完成した。

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