心霊スポットを訪ねて「手稲鉱山」
手稲鉱山は札幌市最西端で、小樽市との境を流れる星置川に沿って、国道5号線を境に、星置と手稲鉱山のある金山とに大別される。
金山(かなやま)という地名は、安政14年山岡清次郎が、稲穂、星置の開墾に従事したと史書に記されている。星置川で米粒大の砂金が発見された話が伝えられ、こうした星置の一角を金の山、きんざんと言うようになり、三菱金属鉱業が本格的な産金事業に乗りだすと、昭和17年字名改正で金山となった。
鉱脈の発見は原始林に阻まれ、何度も不成功に終わったが、大正2年手稲山一帯に、大山火事が発生し、山肌が露出して含金鉱脈が白日の下に晒された。丁度その頃広瀬庄三郎と言う人がこの金鉱を発見し、小坂銅和鉱山と共同で開発にかかった。昭和10年2月三菱鉱業は試掘の契約をし、同年11月頃まで試掘の結果、埋蔵量は50年~60年位あると判断し鉱区発掘の権利を買い上げ、東洋一とまで言われた、三菱手稲鉱山の幕開けとなった。
しかし、昭和21年2月、ストライキなどの労働争議により事業は縮小し閉山の道を辿るようになった。
昭和25年4月財閥解体から生まれた太平鉱業株式会社に、残務処理を引き継ぎ、三菱鉱業としての手稲鉱山は閉山となった。
前置きが長くなりましたが、これから手稲鉱山の廃坑にご案内します。なお、立入禁止区域ですので取材は限られています。
今回もウオークの旅になる。この場所は初めてゆえ探す当てるのに苦労た。廃坑は見えるのですが、高速道路の向こう側ですから、近道を行くと行き止まり。そんなことを繰り返しながら、ようやくたどり着きました。
それではごゆっくりご覧ください。
心霊スポットとしても有名で、心霊マニアさえも敬遠する場所です。
なぜなら、ここは戦前タコ労働者が多く働いていたからです。タコ労働者は人間扱いされず、逃亡は残酷な私刑が待ち受けている。苦しさのあまり「生き柱『生きたまま作業の安全を祈って工事現場の門にコンクリート埋めする』を志願する人もいたという」警察もいるが、給料は会社から出ているので笑ってみているだけ。
「廃墟跡から出してくれ」と叫ぶ怨霊の顔が見えるとか
今もさ迷う無数の怨霊、夜になると窓から「助けてくれ」と叫び手を出してくる
この中にも霊はいる
金鉱石を運び出したベルトコンベアー
土は鉱毒のため雑草も生えていない
向こうの部屋から叫び声が聞こえた気がする
一段目の屋根に上がってみた(↑)。手稲市街はとてもキレイ
ここは何回写真を写しても暗くなる怨霊によるものか
マニアの皆様、是非深夜訪問してください。
お知らせ
北海道の皆様には、放射線量測定値が毎日見られるようになっています。下部をご覧ください。
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