« ご先祖様は開拓農民 | トップページ | 洞爺湖サンパレスホテル »

2011年11月 3日 (木)

昭和新山ウォークの旅(洞爺湖・・・Ⅰ)

10月29日(土曜日)家族+親族は洞爺湖、サンパレスホテルへ慰労の旅にでた。私は当地でウオーキングをする都合上、1人、朝一番で家を後にした。

当日、時々日がさす絶好の天気日和。途中中山峠でトイレタイムを取、一路洞爺湖を目指した。

Dvc00057
今回のウオーキングコースは、昭和新山である。遠回りをすることから往復20km。何時もと変わらない距離。楽勝である^^。

かつてはこの地域は「東九万坪」という広大な畑作地帯で、壮瞥川の川沿いにはフカバという集落があった。この集落名は、かつて鮭鱒の孵化場があったことによる。(Wikipedia)

胆振縦貫鉄道が通るのどかな田園地帯だったが、火山の隆起とともに集落は消滅した。その痕跡は崩壊した鉄道の橋脚跡などに残っている。

昭和新山は昭和十八年暮れから二十年九月末にかけのどかな麦畑とフカバ部落を持ち上げ四ヶ月の爆発期を経て溶岩塔推上という珍しい現象を伴ってこの地に誕生した
 時は第二次世界大戦末期の混乱下にあり厳しい報道規制が敷かれ火山学者の十分な調査研究さえままならない頃であった
 この様な中にあって地元の壮瞥郵便局長三松正夫(一八八八 一九七七)は明治四十三年の有珠山噴火体験時に受けた学者の教えを想起し この火山活動を歴史の空白にしてはならないと 冷静な観察眼で創意工夫と努力想像を絶する苦難を重ねて火山誕生の経過を語る貴重な資料を世に残された
 更に敗戦の混乱の中 この新山を荒廃から護るため私財を投じて主要地域を購入
 万民の宝として保護に死力を尽くされ今日迄我々に自然のあるがままの姿を残された
 翁の私利私欲を越えた行動の意味を後世に語りつぐためにこの像をここに建立する
 ( 平成三年十二月二十八日
  昭和新山生成五十周年記念事業実行委員会
   壮瞥町長 菅原俊一謹書)

昭和新山への道、車は殆ど通らず、快適なウォークである。

Dvc00085

前方に昭和新山が見えてきた。

Dvc00091_2

旧有珠山への道、道路標識はあるが道路の体はなしていない。

Dvc00087_3

Dvc00088

遊歩道の左側は、雑木林にツタが絡まっている

Dvc00086_3

昭和新山へ到着。登山道は閉鎖されていることから、これ以上近づくことはできない。高さは約400m、噴煙は未だに噴出している活火山。

Dvc00100

シーズンオフのためお土産店も閑散としていた。

Dvc00099

一通り見た所で雲行きが怪しくなってきた。雨具を持参していなかったことから、洞爺湖畔まで走ることにした。

|

« ご先祖様は開拓農民 | トップページ | 洞爺湖サンパレスホテル »

ウオーキング」カテゴリの記事

コメント

往復20kmも歩かれたのですか
でも洞爺湖の辺を歩くのは気持ちよさそうですねー。ほどほどな距離なら

投稿: にーつ@なんちゃってFD | 2012年2月12日 (日) 22時59分

にーつ@なんちゃってFDさんコメントありがとうございます。
あなた様のプログは素晴らしいですね。またお邪魔します。

投稿: ぽん | 2012年2月13日 (月) 05時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和新山ウォークの旅(洞爺湖・・・Ⅰ):

« ご先祖様は開拓農民 | トップページ | 洞爺湖サンパレスホテル »