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2012年3月23日 (金)

刑務所今昔物語(男と女)

1、男の巻

北海道に1881年(明治14年)月形樺戸集治監がはじめてできた。全国でも3番目であった。目的は明治維新の動乱が全国各地で起きていた。その結果多数の国事犯・重罪人が出たことから脱獄逃亡の難しい北海道の地が選ばれた。

集治監での作業は、自給自足のため農作業に従事していたが、やがてロシアの驚異から国を守るため道路拡張工事にだされるようになった。始めは今の国道12号線の建設であった。特に冬の工事は厳しく多数の死者が出るようになった。死亡の原因は殆ど凍死である。

囚人の生活環境は、集治監には冬季でも暖房はなく、板の隙間からビュービューと氷点下30度位の風が入り込んでいた。布団は夏と同じく、毛布1枚追加されるだけであった。冬服も1枚で靴下1足、手袋1袋のみであった。

ゴム靴は勿論なく夏は草鞋、冬はツマゴである。どっちも稲ワラで作ることから道路工事中は水が進入し、足の感覚がなくなる。寒いと言って休むと投打され帰路につくと疲労と寒さのため食事さえ取れない囚人が続出。翌朝は凍死している。このような人々の犠牲のうえに今の国道12号線があるのだと思うとやり切れない気持ちでいっぱいである。

2、女の巻

明治初期の函館では、女囚は2年間、女郎部屋に派遣された。女囚と言っても国事犯の女房や娘たちもいた。このような女性は生まれ育ちも良いことから女郎部屋では人気が高かった。が、旦那が国事犯と言えど、女房、娘には何ら責任はないのだ!反逆者への見せしめの意味が大きい。

初めての仕事は男に抱かれること、こんなことは夢にも思ったことはない。どのような屈辱に耐え生き延びてきたのか。今思うと台湾や韓国で起きている慰安婦問題と重なる部分がある。日本国は何故、女性に対しこのような屈辱的な行為が歴史に残るのか?

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