五輪柔道:闘争心と冷静さ…松本「金」初めて笑顔
毎日新聞 2012年07月31日 00時58分(最終更新 07月31日 01時40分)
【ロンドン川崎桂吾】柔道女子57キロ級で松本薫(かおり)選手(24)が金メダルを獲得した。持ち前の闘争心があだとなってけがに悩まされてきたが、自分を抑えることを学び、母恵美子さん(52)と約束した五輪出場を果たした。晴れ舞台でも相手に挑みかかる野性味あふれる戦いぶりで快進撃。母は応援席で「ちゃんと約束を果たしてくれた」と感激した表情を見せた。
自分に言い聞かせるように、何かをつぶやきながら向かった決勝の舞台。初戦から変わらない鋭い眼光で対戦相手を見すえ、得意の足技で攻め続けた。相手の反則で勝利するとガッツポーズ。涙をぬぐい、この日初めて笑顔を見せた。
「獲物を狙うようなお前の目にほれた」。帝京大に進学する際には、谷亮子選手を育てた稲田明・元柔道部監督(66)にそう言わしめた。だが「熱さ」は「もろ刃の剣」でもあった。「自分で自分を壊してしまう」と語るように、冷静さを失った末のけがに度々見舞われてきた。
石川県出身。5人きょうだいの下から2番目で、全員が柔道に打ち込んだ。最初の骨折は小学校高学年の頃、男の子相手のちびっ子レスリングの試合の時だった。通っていた道場の方針で、寝技に役立つからとレスリングも学んでいたが、組み合った拍子に腕の骨を折った。「それでも泣き声一つ上げなかった」。小中学校時代の恩師、岩井克良さん(66)は振り返る。
五輪を意識したのは中学時代。強化選手に選ばれ海外遠征に行くことになり、母に言われた。
「海外に行けていいね」
「じゃあ、私が五輪に連れて行くよ」
何気なく口をついた言葉が、いつしか夢へ変わった。
だが、何度もけがに苦しんだ。帝京大時代は鼻に右肘、足首。毎年のように負傷した。オランダ・ロッテルダムで09年に行われた世界選手権で右手甲を骨折した時、シャワー室で泣いた。感情を抑えられなかったことを悔やんだ。
以来、冷静さを保つことを心に刻んだ。料理人の父賢二さん(59)から送られてくる食材やレシピを参考にして自炊に努め、「アイスとお菓子が主食」だった食生活も見直した。自分の中の野性を飼い慣らし、最高の舞台で結果を残した。
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