マラソン王者、東京で藤原に競り負けていた
英国から独立50年。バッキンガム宮殿を背にウガンダ国旗を翻し、伏兵キプロティクが、ゴールで笑った。
想像を絶するサバイバルだった。仕掛けたのは、今年のロンドンマラソン覇者キプサング。10キロからの5キロを14分11秒という、意表をついた序盤のスパートで、40人近い集団を破壊した。
それを追ったのがキプロティクだった。一時は約100メートル開いた差を世界選手権2連覇中のキルイと共につめ、27キロ手前で首位に並んだ。35キロではケニア2人の同時スパートに遅れかけるが、37キロ手前で逆襲。2人の王者を振り切った。
10歳の頃、原因不明の病気で3年間学校を休んだ。13歳で学校に戻ると走る才能に目覚め、2006年から競技に専念。だが、昨年の世界選手権では入賞を逃す9位。
今年の東京マラソンでは、藤原とのラスト勝負に敗れて2秒差の3位と、勝負所に課題があった。
しかし、初の五輪で23歳は覚醒した。病を克服した人生のように、強豪ケニア勢の揺さぶりに耐え、ウガンダでは40年ぶり史上2個目となる五輪の金メダル。
「ペースは速すぎたけど、このメダルが欲しかったから、ただ我慢した」。母国に待望の金の輝きを届け、新王者に無心の笑みが広がった。(近藤雄二)
(2012年8月13日13時17分 読売新聞)
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