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2012年9月12日 (水)

これが幕末~明治の医学生…写真97枚見つかる

幕末から明治初期に長崎や熊本、京都などで活動し、北里柴三郎らを指導したオランダ人医学教師、マンスフェルト(1832~1912年)が所有していた写真が見つかった。

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長州藩の医学生ら(撮影時期不明)=長崎大付属図書館提供201209122807271n_3
長崎府医学校の前でヘールツ(中央)らと写ったマンスフェルト(左)(1871年撮影)=長崎大付属図書館提供

 当時の医学生や医学校が写った97枚で、長崎大付属図書館がスイスに住む孫から画像データの形で提供を受けた。日本の医学教育の歴史を伝える貴重な資料として評価されており、10月から長崎市や福岡市など全国5か所で展示される。

 マンスフェルトは1866年、江戸幕府の招きで来日し、長崎大医学部の前身の

精得館

(

せいとくかん

)

に赴任。明治時代に入っても日本に残り、72年に移った熊本医学校(現・熊本大医学部)では北里柴三郎らを指導したほか、京都や大阪でも西洋医学を教えた。

 医学教育の歴史を調査していた同図書館が写真を入手したのは半年前。日本人女性がマンスフェルトに宛てた手紙を翻訳するよう、米国に住むひ孫から依頼を受けた際、マンスフェルトが日本に滞在していた頃の写真をスイス在住の孫が保管していることがわかった。ひ孫らは「マンスフェルトの功績を日本の人に知ってもらえるのなら」と、孫の手元にあった97枚のデータ提供を快諾したという。

 写真には「出島のオランダ領事館」「1874年8月22日の台風後の長崎」などオランダ語の説明が書き添えられていた。精得館から改称された長崎府医学校で1871年に撮影された写真には、マンスフェルトとともに、薬局や処方箋の制度の基礎を築いたオランダ人の薬学教師ヘールツも写っていた。

 また、長州藩から学びに来ていた約100人の医学生が記念撮影している写真には、予科生として基礎教育を受けた藩士の子供も納まっていた。医学や薬学に関する人材が長崎に集まっていたことがうかがえるという。このほか、マンスフェルトが熊本城からの眺めや京都の役者を自ら撮影した写真も含まれている。

 同図書館の姫野順一館長は「鮮明な写真が多く、当時の医学に関わった人物を特定できる可能性もある」と話している。(山田裕子)

(2012年9月12日17時58分  読売新聞)

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