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2012年10月 9日 (火)

再録・時代を駆ける:山中伸弥/4 米国留学、そして危機(2011年9月27日掲載)

2012年10月08日

恩師のロバート・メイリー元米グラッドストーン心血管病研究所長夫妻(右、左)と=同研究所提供

恩師のロバート・メイリー元米グラッドストーン心血管病研究所長夫妻(右、左)と=同研究所提供

 ◇SHINYA YAMANAKA

 《大阪市立大大学院修了の93年から米国留学》

 「ネイチャー」などの科学誌に載っているポスドク(博士研究員)の公募広告に片っ端から応募し、最初に呼んでくれたサンフランシスコのグラッドストーン心血管病研究所に決めました。

 米国で習った一番大切なことは、研究者として成功するには「ビジョンとハードワーク」、つまり目標をはっきり持ち、一生懸命やることです。当時のロバート・メイリー所長が教えてくれました。これは当たり前のようで難しい。日本人は勤勉なのでハードワークは得意です。でも、ビジョンがなければ無駄な努力になってしまう。当時の僕も、ハードワークでは誰にも負けない自信があり、目の前の目標もあったけれど、気がついたら長期的なビジョンは見えなくなっていました。以来、5年、10年単位のビジョンを持つことを忘れないようにしています。

 もう一つ良かったのはES細胞(胚性幹細胞)に出合ったことです。ほぼ無限に増やすことができ、神経や筋肉など体を構成する200種類以上の細胞のすべてに変化できる「分化多能性」という能力を持っている。本当に面白い細胞で、夢中になりました。

 《3年後に帰国。大学でマウスES細胞の研究を続けたが、危機に直面する》

 研究費はなく議論の相手もいない。ネズミの世話も専門の担当者がいた米国と違い、全部自分でやるしかありません。実験用のネズミを2匹、米国から持ち帰ったんですが、1カ月で20匹、半年で200匹と本当にネズミ算式に増え、自分が研究者なのか、ネズミの世話をする人なのか分からなくなりました。

 薬理学教室にいたので周りはすぐに薬につながる研究をしている人ばかり。その中でネズミの細胞で基礎的な研究をしているわけですから、かなり浮いてしまって。いろんな人から「もっと医学に関係することをやったほうがいいんちゃうか」と言われ、自分でも「何か人の役に立っているのかな」と自信がなくなっていきました。半分うつ状態になって朝も起きられなくなり、研究をやめる直前までいきました。

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 聞き手・須田桃子/

 ■人物略歴

 ◇やまなか・しんや

 京都大教授、49歳(写真は昨年、恩師のロバート・メイリー元米グラッドストーン心血管病研究所長夫妻<右、左>と=同研究所提供)

http://mainichi.jp/select/news/20121008mog00m040032000c.html

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