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2012年10月25日 (木)

ふるさと:原発事故19カ月 自ら除染 必ず帰る

毎日新聞 2012年10月24日 22時26分(最終更新 10月25日 00時46分)

1年ぶりに警戒区域内のふるさと・請戸漁港を訪れた志賀基明さん。5キロ先には福島第1原発の排気筒やクレーンが見えるが、漁港周辺の放射線の空間線量は毎時0.1マイクロシーベルト前後と低く、防護服も着なかった=福島県浪江町で9月、栗田慎一撮影

1年ぶりに警戒区域内のふるさと・請戸漁港を訪れた志賀基明さん。5キロ先には福島第1原発の排気筒やクレーンが見えるが、漁港周辺の放射線の空間線量は毎時0.1マイクロシーベルト前後と低く、防護服も着なかった=福島県浪江町で9月、栗田慎一撮影

 東日本大震災の津波で壊滅し、東京電力福島第1原発事故で警戒区域となった福島県浪江町の請戸(うけど)漁港。港は放置され、漁師の多くが内陸部で避難生活を送る。同漁港の漁師、志賀基明さん(49)は、除染作業に奔走している。「一日でも早く帰郷できるように」。漁師一家の3代目は、おかに上がった。

 台風17号が接近中の9月末、請戸漁港の壊れたままの岸壁は、荒波を受けていた。視線を南に転じると、5キロ先に第1原発の排気筒やクレーンが見えた。

 「東電と国が漁業を奪い、漁村も崩壊させた」。防護服も着ずに岸壁に立った志賀さんは原発をにらんだ。

 「線量計を見てくれ。復旧工事に問題ない」。これを確認したくて約1年ぶりにふるさとに足を踏み入れた。

 漁港周辺の平均空間線量は、現在は毎時0・1マイクロシーベルト前後。志賀さんを含め浪江町民の多くが避難する福島市は同0・7、郡山市も同0・5前後。同漁港の南や西側は同20を超えており、高線量地帯に囲まれた「クールスポット」だ。だが、警戒区域内なので復旧工事は認められていない。

 「ここは時間が止まったまま。目標が見えない生活はつらい」

 昨年3月11日、漁港近くの自宅にいた。家族に高台に逃げるよう言い残し、港に向かった。漁船を沖に出した直後、山のような波を何度も越えた。陸に激突した津波が空を覆う水の壁を作り、漁村も、原発も、阿武隈山系も、視界から消えた。

 携帯電話がつながらない。長女、次女、長男、妻に母親……ひょっとして。「家族より船が大事だったのか。船は再建できるが、家族は失えば戻らない」。涙が止まらなかった。

 原発からは鉄の焦げたようなにおいが一晩中漂ってきていた。

 12日朝、港に戻ると漁村は消えていた。がれきの中に助けを求める人々がいたが、家族を捜しに先を急いだ。

 六つの避難所を転々とし、約100キロ離れた福島市の避難所にいた家族と再会したのは3日後の14日。涙がかれるまで抱き合った。しかし、漁師仲間10人以上が死亡・行方不明に。漁村周辺では数百人が犠牲となった。漁村を素通りした呵責(かしゃく)の念にさいなまれた。

 漁師になって30年近く。いつも漁場から見えていた原発が「こんな事故を起こすとは、思いもしなかった」。自分をののしった。

 1月、郡山市に除染会社を設立した。漁師や被災者ら15人を雇う下請けで、川内村や広野町の除染に携わる。

続く

http://mainichi.jp/select/news/20121025k0000m040063000c2.html

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