美味しかった人肉・・・知床半島ひかりごけ事件
太平洋戦争まった中の昭和18年12月4日、北海道根室港を経ち小樽港へ向かった日本陸軍暁部隊所属の「第五精神丸」、7人乗組みが知床岬沖で大シケに遇い、遭難した。
7人のうち5人は大シケで死亡し、シゲと船長が真冬にずぶぬれとなりながら空き家の番屋にたどりついた。
それから2カ月経過した、昭和19年2月3日夕、知床岬から20kmほど離れた羅臼町岬町、漁業、野崎初蔵(71歳)宅に外套の上にムシロを巻きつけた異様な男が一人、倒れこむように入ってきて助けをもとめた。
番屋の生活は食べ物はなく、毎日海岸に出て昆布を広い食事にしていたが、昆布を食べると便秘が酷く、棒でお尻の穴を突かないと出ないようになった。
そのうちシゲはやせ衰え動かなくなった。死んだのだ。
船長は横になっているシゲの屍をみているうちに、どうしても我慢できなくなり、股のあたりを包丁でそいで味噌で煮て食べてしまった。
その味はいまだに経験したことのないほど美味しかった。
また、斧で頭部を割り脳味噌を食べた時がもっとも精力がついたような気がした。
むちゃくちゃに食って食いまくった。
ああ、旨いなと思ったのはだいぶ後になってから。
食べた後の心境はなんと表現したらいいか分からない。ただ死ぬから食いたい食いたいと言う意識にかりたたされ手をつけた。
骨と皮膚を残しキレイに食べられたシゲさん。
船長のトイレ
山下格北海道大学医学部教授・同大付属精神科長の話し
この時の船長は、餓死感と孤独感の二重の責苦にさいなまされていたとみていいでしょう。しかも、救助、生存の可能性を経たれた孤立した閉所ですから、その責苦は常識をはるかに超えたもの。
この後船長は裁判となり懲役1年の刑に服す。
合田一道「裂けた岬」 ・・・「ひかりごけ」事件の真相
ウォーキング日記
12月の目標 775.000歩「1日25.000歩(20.0km)」
12月21日 走法 ラン&ウォーク35.922歩「28.7km」
12月トータル598.115「478.5km」
達成率113.9%
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