筋委縮性側索硬化症(ALS)の父をもつ優しい少女
渡部哲也さん(48)北見市は、体がおかしい、と感じたのは1993年7月頃、26歳の時でした。
自宅前の階段や路上でつまずくことが増えたのです。
握力も弱まり、服のボタンさえ留めれなくなった。
いよいよ変だと思って94年2月に旭川の病院の神経内科を受診した。
医師からの告知はALSであること、3年ほどで呼吸が出来なくなり、亡くなる可能性があること。
10月には舌を動かす筋肉も弱まり、ろれつが回らなくなってきた。
自宅でバランスを崩し転倒すると、動けなくなり妻の帰宅を待つしかありません。トイレで倒れた時は、ズボンを降ろしたまま。みじめでみじめで。
気持の上で大きかったのは娘たちの存在です。00年に退職し、外出は相変わらず少なかったのですが、娘たちは「出掛けよう」と引っ張るんです。
小学6年生になった長女に「最後の運動会だから一緒に出て」と頼まれ、仕方なく親子で一緒に走る競争に出場しました。
他の親子は走ってすぐにゴール。
長女は私の車椅子を一生懸命押すのです。すると会場から「がんばれ」と大声援。ゴールして清々しい気持ちになり「おれって小さいことに悩んでばかりだ」と反省しました。
筋委縮性側索硬化症(ALS)とは
手、足、舌などの筋肉をつかさどる運動神経が次第にやせ、動かなくなる病気。
40~60歳を中心に発症し、国内に9千人の患者がいる。原因は分かっておらず、有効な治療法も確率されていない。
発病して3~5年で症状が全身に及び、歩く、手を動かす、言葉を発する、食べ物を飲み込むといったことが困難になっていく。ただし、熱さ、冷たさ、痛み、かゆみなどを感じる感覚神経や意識、知能は正常に保たれる。
さらに進むと、口から食べ物を飲み込むことができなくなり、呼吸も困難になる。栄養をとるために、点滴のほか、鼻から胃に入れた菅や、胃に直接栄養を送る胃ろうが必要になる。
呼吸のためには、酸素を送り込む器具を鼻に取り付けたり、気管を切開して人口呼吸器を取りつける。気管を切開すると、声を発することはできなくなる。
人口呼吸器は、のどにたまった、たんを頻繁に取り除く作業が必要になるため、家族などの負担が大きくなる。
取り付けを希望せず、亡くなる人もいる。
2015年1月7日北海道新聞朝刊引用
ウォーキング日記
①1月の目標 775.000歩「1日25.000歩(20.0km)」
②1月7日 走法 ラン&ウォーク 31.345歩「25.1km」
③1月トータル 199.966歩「160.0km」
④達成率114.3%
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