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2020年8月12日 (水)

我が故郷志苔館(しのり)町

海岸線を恵山方面に向かう途中に志海苔町(しのり)がある、ここに 志苔館がある。歴史的に重要な史跡であるが、知っている人はそんなにいません。

志苔館は城でなく館である。

戦国時代にも館の主が大勢の家来を連れて有利な戦いをしている方に味方し、土地などの分け前にあずかっていた。

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志苔館が出来たのは、

康正2年(1458年)、志苔付近にて蝦夷(アイヌ)の隆起あり、初代の館主小林太郎左衛門尉良景は戦死した、後にその息男小林弥太郎良定が継いだ。

この頃は戦国時代で織田信長、武田信玄、今川義元が川中島の戦いや桶狭間の戦いで、日本は隣村との戦いに明け暮れていた。

これより少し後(1596年)、福山の住人、八木勘右衛門がオタルナイ(小樽市)に入り、和人として初めて漁業を営むが、やはりここでもアイヌとの戦いがあった。

その後再び永久9年(1512年)館主小林次郎李景は蝦夷の闘いで戦死した。館は陥落し廃墟となった。


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郭外遺構

郭外には、主に外敵からの防衛を目的とした壕、土塁、門、柵、それに橋が配置されていた。壕は土塁の四方に巡らされている。

 

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館の開口部に当たる西側には、二重の壕が掘られ、北、東、南側は自然の沢を利用して壕としていた。

土塁は長方形で高さ4ないし5m、幅15ないし20mである。

東北隅には井戸跡もある。

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志苔古銭

古銭は1・2号甕に37万7,449枚、3号甕に6万6,987枚、合計37万4,000枚以上あったが、発見の際の散逸を合わせると推定45万枚から50万枚はあったであろう。

銭種は94種類で不明銭が1万枚以上あるが、最も多いのが北宋銭で88.1パーセントを占めている。

古い年代の銭貸名としては前漢の四銖(しゅ)半両、五銖、新の貨泉、唐の開元通宝、乾元重宝で、日本の皇朝銭が12種の中の8種あり、和銅開弥(飛鳥)、万年通宝(奈良)、神功開宝(奈良)、隆平永宝(平安)、富寿神宝(平安)、承和昌宝(平安)、貞観永宝(平安)、延喜通宝(平安)と、飛鳥から平安のものが含まれている。

 

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志苔館は何もないところですが、函館に来たときは是非見学して下さい。

 ラン&ウォーキングはお盆中転載を休みます。

 

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