歴史

2017年5月23日 (火)

古道をゆく

4月頃の写真です。
 
関連記事は毎年一度か二度流します。
 
銭函から道なりにおたるドリームビーチへ向かう
 
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途中から獣道となり、今から約50年前の古道は、一年に数人の人が通るのみ。
 
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古道をゆくと、草の中に埋もれたガードレールが見えてきた。
 
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ガードレールの先に新川に架かる廃橋がある。橋のガードレールは朽ちて脱落していた。
 
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橋の工事は、オタナイ村の住民が居なくなったことから中止となり、先端部分にガードレールは設置しておらず、危険極まりない。
 
先に橋桁が見える。この橋迂回し真っ直ぐ行くとオタナイ村の石碑が見えてくるのだが、今回はここまで。
 
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廃橋から望む日本海に注ぐ新川河口。
 
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廃橋から望む増毛連峰の山並み、頂上は雪に覆われていた。
 
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廃橋から望んだ、手稲山連峰の山並み
 
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遠くから見た廃橋、右側の先端部分で橋は未完成となっているのが分かる。
 
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橋の向こうにあるオタナイ村については、早い機会に流します。
 
5月ラン&ウォーキング日記(39ヶ月連続100万歩挑戦)
①5月の目標 100万歩「1日32.300歩(25.8km)」
 
②5月23日の実積25.761歩(20.6km)
 
③5月トータル882.569歩(706.1km)
 
④達成率88.1%
 
今日も皆様にとって、素敵な一日になります様に 。
 

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2014年7月 1日 (火)

我が町の今昔物語・・・光風館

札幌市手稲区富丘に札幌付近では最高の温泉旅館があった。明治21年に建設、当時定山渓でさえ1軒よりなかった。

光風館(貴重な写真である)



その後、富丘温泉となり

現在は民家となっている。
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当時の光風館は国道5号線から石畳の舗装道路があり、道路の淵はスズランの群生地で季節になれば香ばしい匂いが漂っていた。

現在はその面影はないが、この舗装の下は石畳。前方のトンネルを抜けると光風館跡の石垣を見ることが出来る。

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有名な宿泊客は高松宮妃殿下、まだ徳川喜久子姫の時分、夏休みをここで過ごされた。


当時の交通機関は4輪の乗合馬車であった。

富丘今昔物語・手稲開基110年誌手稲の今昔参照・非売品

ウォーキング日記

 

6月の目標 775.000歩「1日25.000歩(20.0km)」

 

6月30日 走法 ラン&ウォーク 45.956歩(36.8km)

 

6月トータル 1.206.614歩(965.3km)

 

達成率160.9%

今月、ウォーキング大会が6日間あったことから、凄い歩数となった。

6月トータル 1.206.614歩(965.3km)は歴代2位の記録。因みに1位の記録は2012年5月の1.256.104歩(1.005km)。今回の記録は僅か49.490歩及ばなかった。

 

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2014年2月25日 (火)

戦国時代の死刑

戦国時代の死刑は誰でも御存じ切腹。

この頃は裁判所があるわけでもなく、死刑を言い渡すのは、その多くは殿さま。

受刑者は白装束に身を包み、腹を十文字に切り裂く、この時介錯する人がいる。

介錯とは、切腹する人のそばに付き添っていて、その人が刀を腹に突き刺すと同時に、その首を斬って死を助けてやること。また、その人。

実はこの時、思わぬトラブルが発生することがある。

介錯する人がベテランなら良いが、慣れていないと、1回で首を切り落とせない。

介錯のタイミングは腹にキズが付いた瞬間に首を切り落とすのが、処刑者を苦しめないが、刀を振り落としたは良いが、首でなく肩に当たったり、頭に当たったりするのがある。

切腹する本人は肩を切られたり、頭を切られたりするもんだから、楽にするはずが苦しみながら気絶する、それでも介錯人の仕事は首を落とすことですから、この人も大変。

その後はどのようにして首を落としたか?アナタ想像にお任せ(笑)。

ウォーキング日記

2月の目標 700.000歩「1日25.000歩(20.0km)」 

2月24日 走法ラン&ウォーク 41.070歩「32.9km」

2月トータル847.960歩「678.4km」

達成率 141.3%

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2013年12月22日 (日)

美味しかった人肉・・・知床半島ひかりごけ事件

太平洋戦争まった中の昭和18年12月4日、北海道根室港を経ち小樽港へ向かった日本陸軍暁部隊所属の「第五精神丸」、7人乗組みが知床岬沖で大シケに遇い、遭難した。

7人のうち5人は大シケで死亡し、シゲと船長が真冬にずぶぬれとなりながら空き家の番屋にたどりついた。

それから2カ月経過した、昭和19年2月3日夕、知床岬から20kmほど離れた羅臼町岬町、漁業、野崎初蔵(71歳)宅に外套の上にムシロを巻きつけた異様な男が一人、倒れこむように入ってきて助けをもとめた。

番屋の生活は食べ物はなく、毎日海岸に出て昆布を広い食事にしていたが、昆布を食べると便秘が酷く、棒でお尻の穴を突かないと出ないようになった。

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そのうちシゲはやせ衰え動かなくなった。死んだのだ。

船長は横になっているシゲの屍をみているうちに、どうしても我慢できなくなり、股のあたりを包丁でそいで味噌で煮て食べてしまった。

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その味はいまだに経験したことのないほど美味しかった。

また、斧で頭部を割り脳味噌を食べた時がもっとも精力がついたような気がした。

むちゃくちゃに食って食いまくった。

ああ、旨いなと思ったのはだいぶ後になってから。


食べた後の心境はなんと表現したらいいか分からない。ただ死ぬから食いたい食いたいと言う意識にかりたたされ手をつけた。

骨と皮膚を残しキレイに食べられたシゲさん。

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船長のトイレ

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山下格北海道大学医学部教授・同大付属精神科長の話し

この時の船長は、餓死感と孤独感の二重の責苦にさいなまされていたとみていいでしょう。しかも、救助、生存の可能性を経たれた孤立した閉所ですから、その責苦は常識をはるかに超えたもの。

この後船長は裁判となり懲役1年の刑に服す。

合田一道「裂けた岬」 ・・・「ひかりごけ」事件の真相

ウォーキング日記

12月の目標 775.000歩「1日25.000歩(20.0km)」
12月21日 走法 ラン&ウォーク35.922歩「28.7km」
12月トータル598.115「478.5km」

達成率113.9%

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