「現代のベートーベン」と称され、「両耳の聞こえない作曲家」として知られていた佐村河内(さむらごうち)守氏(50)のゴーストライター問題で、同氏が12日未明、代理人の弁護士を通じて直筆の文書で謝罪した。
<謝罪文全文>
お詫び
今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことも心からおわびしたいと思っています。
私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私のうそによって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者の人たち、広島市の関係者、友人、家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くおわびいたします。
私がついたうそは、新垣さんのことだけではありません。もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。今は、自分を偽って生きてきたことを深く恥じています。そして、私の要求に18年もの間応じてきたことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、おわびしたいと思います。
ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえていたはずだと言われていることは事実と違います。耳が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で手帳をもっていることは間違いありません。そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。
しかし耳のことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。3年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。ただし、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。
私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他のうそのことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。
新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、いろいろな情報が出ていると聞き、もうこれ以上はうそはつけないと思い、2月9日になって、耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。
そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問されましたが、それだけは違います。全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。
もうこれ以上、うそにうそを重ねるのはやめると決めました。ですので、今日は、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。耳のことについては、専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。その結果2級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。
それと、いくつかご説明もさせて下さい。もちろん、すべて真実をお話しすると決めたので、この後に書くことにうそはありません。
まず、私と新垣さんとの関係は2人きりの秘密でした。このうそがバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にも誰にも話していません。妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので作曲の仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。
また新垣さんへの指示書を書いたのは私です。お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。私の実家にピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。
もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にもつらい思いをさせています。妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。そのことは妻の判断に任せます。
それと私が被爆二世であることも真実です。私の両親は共に広島で被爆しています。2人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。私自身、そういう気持ちが一方にあったことは間違いありません。しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害のある人たちの助けになればという気持ちも間違いなくありました。もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。
しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。もう1つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるようにしてもらいたいと思います。
最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ず公の場で謝罪をさせていただきます。
本当に申し訳ありませんでした。
平成二六年 二月十一日 佐村河内 守
[2014年2月13日8時8分 日刊スポーツ紙面から]
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