歴史探訪

2020年8月13日 (木)

函館市鱒川町馬頭観音を訪ねて

函館市鱒川町(地元)に昭和22年8月17日建之、馬頭観世音がある。

今回はそこを訪ねてみることにした。

馬頭観世音とは、農村に馬が普及し、馬の果たす役割が大きくなったためと思われ、各地にその信仰を記念して石塔が造立されるようになりました。

農作業や荷物の運搬には馬が使われることが多く、それに伴って病気や事故で死んだ愛馬を供養することもふえたと思われます。

また旅の安全や五穀豊穣、平和への祈念などの信仰も合わせて行われるようになりました。

 

上湯の川に入ると複雑な交差点がある。右折するとトラピスチヌ女子修道院、直進は恵山方面、左折は今回向かう鱒川町方面である。

 

1-2_20200813162901

上湯の川から徒歩で60分、馬頭観世音は置き忘れ去られたように道端にひっそりと佇んでいた。

この馬頭観世音を建之に携わったという伊藤文三さんを訪ねて詳しく聞いてみることにした。

 

伊藤さんは92歳になられたが頗る元気であった。は28歳の働き盛り。当時は他に立花竹三郎、佐藤与三郎、

八戸房松、波多三之助、瀬川富太郎さん等が活躍されたようであった。

11-2_20200813162901

伊藤さんの話し

石は西ケ沢から馬で引っ張ってきた。

当時の鱒川町は開拓民が殆ど、狭い農地を利用し稲作を主に生計をたてていたが、現金収入がないため、裏山で炭焼きをやりだした。

これが思いもよらぬ現金収入になったことから馬の供養を行うため馬頭観世音建之を決めたということである。

今の西ケの沢


111-2_20200813162901

遠方に見えるのは三森山(裏側は南茅部、林道がある)。前方の丘のような所で炭焼きをしていた。


11111-2_20200813163001  

石碑の正面には「馬頭観世音」

裏側には「昭和22年8月17日建之」さらに「馬主一同」と刻みこまれていた。

 

当時の農耕馬は「馬車馬」と呼ばれ、道産子より二回りほど大きな馬で、水田の代掻き(田植えの前に水田に水を入れ、土を細かくする作業)や丸太の駆り出しに従事させられていた。

 

当時、死ぬと山などに放置され山犬(ペットが野生化した犬)などの餌にされていた。笹薮などに馬の骨をみることがあった。

 

伊藤さんとワシの会話

ワシ:お忙しいところ申し訳ありませんが、馬頭観世音についてお聞きしたいのですが。

伊藤さん:あめぇは誰だ!

ワシ:地元のもので○○といいます。親父は○○だ。

伊藤さん:あめぇは札幌へ行っている三番目か?

ワシ:ほんだ、○○だ!(ここから地元弁)

伊藤さん:おめぇ○○か、あの鼻たらし小僧が、よくも立派になったもんだな。

ワシ:別に立派になってねべさ。今だって伊藤さんから見たら鼻たらし小僧だべさ。

伊藤さん:ほんだら、なんでも聞いてけれ。

ワシ:あそこにある馬頭観世音に書いてる字が読めないから、教えてけれや。

伊藤さん:あそこに先生いるから聞いてけれ。先生は何でもわかるべや。

ワシ:どこさいる?

伊藤さん:ほれ、あそこで畑を耕しているおどこ(男)がほんだ。

そこには、野良仕事をしている夫婦がいた。誰がみても先生とは思えない。

ワシ:あの夫婦はホントに先生?ウソでねべな?

伊藤さん:おら、ウソこがね。まんず行って聞いてけれ。

実は、伊藤さんには苦い思い出がある。弟が農道で事故をお越し、伊藤さんが大事に育てていたオンコ(イチイ)を根こそぎ折ってしまったのだ。伊藤さんは憤慨し、警察に損害届けを出した経緯がある。今でも覚えているはずであるが、親切丁寧に教えてもらった。

伊藤さんいろいろ有難うございました。これからも、体に気を付けてお元気にお過ごしください。

今回は馬頭観音建之

に秘められた、先人達を偲んでの旅でした。

 

| | コメント (0)

2020年8月12日 (水)

我が故郷志苔館(しのり)町

海岸線を恵山方面に向かう途中に志海苔町(しのり)がある、ここに 志苔館がある。歴史的に重要な史跡であるが、知っている人はそんなにいません。

志苔館は城でなく館である。

戦国時代にも館の主が大勢の家来を連れて有利な戦いをしている方に味方し、土地などの分け前にあずかっていた。

1_20200812205301

志苔館が出来たのは、

康正2年(1458年)、志苔付近にて蝦夷(アイヌ)の隆起あり、初代の館主小林太郎左衛門尉良景は戦死した、後にその息男小林弥太郎良定が継いだ。

この頃は戦国時代で織田信長、武田信玄、今川義元が川中島の戦いや桶狭間の戦いで、日本は隣村との戦いに明け暮れていた。

これより少し後(1596年)、福山の住人、八木勘右衛門がオタルナイ(小樽市)に入り、和人として初めて漁業を営むが、やはりここでもアイヌとの戦いがあった。

その後再び永久9年(1512年)館主小林次郎李景は蝦夷の闘いで戦死した。館は陥落し廃墟となった。


111

郭外遺構

郭外には、主に外敵からの防衛を目的とした壕、土塁、門、柵、それに橋が配置されていた。壕は土塁の四方に巡らされている。

 

1111 11111_20200812205501

館の開口部に当たる西側には、二重の壕が掘られ、北、東、南側は自然の沢を利用して壕としていた。

土塁は長方形で高さ4ないし5m、幅15ないし20mである。

東北隅には井戸跡もある。

111111

志苔古銭

古銭は1・2号甕に37万7,449枚、3号甕に6万6,987枚、合計37万4,000枚以上あったが、発見の際の散逸を合わせると推定45万枚から50万枚はあったであろう。

銭種は94種類で不明銭が1万枚以上あるが、最も多いのが北宋銭で88.1パーセントを占めている。

古い年代の銭貸名としては前漢の四銖(しゅ)半両、五銖、新の貨泉、唐の開元通宝、乾元重宝で、日本の皇朝銭が12種の中の8種あり、和銅開弥(飛鳥)、万年通宝(奈良)、神功開宝(奈良)、隆平永宝(平安)、富寿神宝(平安)、承和昌宝(平安)、貞観永宝(平安)、延喜通宝(平安)と、飛鳥から平安のものが含まれている。

 

1111111_20200812205601

 

志苔館は何もないところですが、函館に来たときは是非見学して下さい。

 ラン&ウォーキングはお盆中転載を休みます。

 

| | コメント (0)

2020年6月13日 (土)

球徳稲荷大明神のあるところ

我が家の近くに救徳稲荷大明人なる祠がある。

 

今から約50年前の祠か?


11111-2_20200613164601

1-2_20200613164501

 

お参りする方も少ないと見え足跡も殆んど残っていなかった
狐ちゃんの顔は欠けているがしっかりと祠を守っていた
もしかして、キタキツネかな?

 

11-2_20200613164601

 

富丘川の流れ、と言っても殆ど水は流れていませんでした。

 

111111-2_20200613164701

この沢の水を利用して開拓者は生活していたのだ、下流はサケが遡上することから、開拓者にたとっては貴重なタンパク源であったはず。

 

鮭のカロリーは、切り身1枚あたり110kcal。
鮭(サケ)には、ビタミンD・ビタミンB12・ナイアシン・パントテン酸・リンなどが豊富に含まれ、三大栄養素で最も多いのはタンパク質で18グラム、次いで脂質が3.6グラムと続き、炭水化物は0.08グラムと少なく、食物繊維を含まないため、糖質も0.08グラ

球徳稲荷の登り口から200 mほど行くと、北海道造林の記念碑が現在も残っていますが、昔その記念碑の前にはちょっとした広場があり、あずまやや相撲の土俵があったということです。
 温泉や周辺の環境の良さに目をつけた手稲町は、光風館跡周辺を公園として整備しようとする動きもありました。

 

北海道造林合資会社記念碑をご覧下さい。

 

6月ラン&ウォーキング日記

 

76ヶ月連続75万歩以
上に挑戦中
(既に達成した100万歩連続60ヶ月含む)

 

2020年6月13日現在

 

累計歩数
115.579.069歩

 

累計距離
92.463km

 

地球一周約4万kmとして
2.31158周

 

①6月の目標 775.000歩(620km)
1日25.000歩(20km)

 

②6月13日の実積
3[27.834歩(22.3km)

 

③6月トータル
399.007歩(319.2km)

 

④達成率53.2%

 

今日も皆様へ
素敵な1日が
訪れますように

| | コメント (0)

2020年6月12日 (金)

我が町の今昔物語

札幌市手稲区富丘(我が町)に札幌付近では最高の温泉旅館があった。明治21年に建設、当時定山渓でさえ1軒よりなかった。

 

国道5号富丘川あたりから南へ1キロほど登ると、現在の札樽自動車道の山側に光風館という温泉旅館がありました。この温泉は、明治26年(1893年)11月3日に小樽の東幸三郎が開業したもので、当時は竜宮城にたとえられるほど豪華な温泉旅館でした。


 大正11年(1922年)12月に海賊の江連力一郎(えづれりきいちろう)が軽川駅で逮捕された時に、直前に宿泊していたのが光風館ということでも知られるようになりました。


 ただ、昭和15年(1940年)頃には経営困難となって閉鎖されてしまいました。


 その後、昭和30年(1955年)に小寺アキによって、新しく手稲温泉北家として復活し、三眺荘・ヘルスセンターがとなりで営業していましたが、昭和50年に廃業しました。建物はしばらく残っていましたが、これも平成6年(1994年)に火災にあって失われました。


手稲区史跡ガイドホームページより抜粋

 

当時の光風館は国道5号線から石畳の舗装道路があり、道路の淵はスズランの群生地で季節になれば香ばしい匂いが漂っていた。

 

現在はその面影はないが、この舗装の下は石畳。前方のトンネルを抜けると光風館跡の石垣を見ることが出来る。
11-2_20200612151901

突き当たりが光風館跡地と思われる

 

1-2_20200612151901

 

光風館

 


T02200147_0500033512989092601

 

T02200147_0500033512989092600

その後、富丘温泉となり


T02200147_0500033512989092602

有名な宿泊客は高松宮妃殿下、まだ徳川喜久子姫の時分、夏休みをここで過ごされた。


111-2_20200612152001

当時の交通機関は4輪の乗合馬車であった。

富丘今昔物語・手稲開基110年誌手稲の今昔参照・非売品


T02200292_0800106312989105215

 

T02200299_0800108912989105216

 

6月ラン&ウォーキング日記

 

76ヶ月連続75万歩以
上に挑戦中
(既に達成した100万歩連続60ヶ月含む)

 

2020年6月12日現在

 

累計歩数
115.551.235歩

 

累計距離
92.441km

 

地球一周約4万kmとして
2.31102周

 

①6月の目標 775.000歩(620km)
1日25.000歩(20km)

 

②6月12日の実積
30.213歩(24.2km)

 

③6月トータル
371.173歩(396.9km)

 

④達成率49.5%

 

今日も皆様へ
素敵な1日が
訪れますように

| | コメント (0)

2019年10月27日 (日)

手稲区土功川を行く

土功川は手稲山から手稲区の前田地区、曙地区を流れ新川に合流し、日本海へ注ぐ河川です。

この川は、周辺地区の湿地帯を干拓するために下手稲土功組合が造った排水溝です。
土功組合とは、水はけの悪い土地に排水溝を掘って土地の改良をするための組織です。
下手稲土功組合は、大正12年(1923年)に設立されました。
排水溝のお陰で、この地区でもどうにか普通の作物が出来るようになり、道路も良くなりました。

参考資料
ふるさと手稲の歴史
手稲開基110年誌手稲の今昔

土功川の流れは殆んど水草に覆われています
Img_9725


5キロ程続く直線歩道を行くと手稲駅へ着きます

Img_9722

堰堤には、おとぎ話に出てくる彫刻があり、行く人々の心を和ませてくれる

Img_9730

11-2_20191027163501

11111-2_20191027163601

111111-2_20191027163601

Img_9728


綿羊さんが交通整理中
111-2_20191027163701

1111-2_20191027163801

手稲山を見て終わかれ
手稲山殆ど落葉、手前の紅葉とのコントラストをご覧下さい
Img_9705


10月ラン&ウォーキング日

24日、今月の目標値である75万歩(605キロ)以上を達成しました。

①10月の目標 75万歩
1日24.500歩(19.6km)

②10月 24日の実積
31.010歩(24.8km)

③10月トータル
756.398歩(605.1km)

④達成率100.0%

今日も皆様にとって
素敵な1日に
なりますように!

| | コメント (0)

2019年9月30日 (月)

札幌市手稲区富丘今昔物語

札幌市手稲区富丘温泉道路を登るとトンネルがあり、そこを抜けると異様な世界に入る
3-2_20190930175701

 

富丘温泉跡地の石垣

 

111-2_20190930175701

 

直ぐ稲荷神社が見えてきた。信者がお参りに来るのか、お賽銭が野ざらし

 

祠が見えて来た
祠の中は空っぽ、土台は朽ちていた。この冬は大丈夫か、潰れそうである。
推測であるが、札幌で一番早く開拓者が入植した地は手稲区であったことから、この辺りは住宅地であった可能性がある。

 

111111-2_20190930175801

 

大きな治水ダムが見える

 

1111111-2_20190930175801

 

民家の基礎を思わせる石

 

111111111-2_20190930180301

 

根元には割れたどんぶりがある

 

1-2_20190930175901

 

林の中に埋もれるようにコンクリート製のタンクが出現。何に使われた物なのか?

 

11111-2_20190930180601

 

富丘川下流

 

11111111-2_20190930175901

 

下流に産卵の終わったサケの死がいが浮かんでいた

 

2-2_20190930180001

 

 

関連ブログ

 

我が町の今昔物語をご覧下さい

 

今日も皆様にとって
素敵な1日になりますように!

| | コメント (0)

2019年9月26日 (木)

オタルナイ村へ続く古道を行く

国道5号線を小樽市銭函駅へ向かい、駅を折り返し銭函海岸通りを海水浴場、小樽ドリームビーチ(日本海)へ向かいます

 

1-2_20190926155201

ドリームビーチから古道に入ります


11-2_20190926155201

エゾシカの足跡

111-2_20190926155301

更にススキに覆われた古道を行く


1111-2_20190926155301

前方に車止めが見えてきた

11111-2_20190926155401

 

撤去中の新川に掛かるオタルナイ橋

 

50年前にオタルナイ村(またはオタナイ)へ続く橋であったが、オタルナイ村の住民は居なくなり、工事は中断された。

 

橋の前方にオタルナイ村とオタルナイ沼がある

 

111111-2_20190926155401

オタルナイ橋から日本海を望む


1111111-2_20190926155401

 

日本海側は風力発電に適していることから、至るところで風車が回っています。

 

11111111-2_20190926155401

 

以下の記事を参考にして下さい

 

オタルナイ村を訪ねて

 

忘れ去られた村を探し求めて

 

9月ラン&ウォーキング日記


25日、今月の目標である75万歩を達成しました。


①9月の目標 75万歩
1日25.000歩(20.0km)

②9月 25日の実積
30.382歩(24.3km)

③9月トータル
758.396歩(606.7km)

④達成率100.3%


今日も皆様にとって素敵な1日になりますように!

| | コメント (0)

2019年9月20日 (金)

我が故郷函館[志苔館(しのりだて)]遺跡を訪ねて

海岸線を恵山方面に向かう途中に志海苔町(しのり)がある、ここに 志苔館がある。歴史的に重要な史跡であるが、知っている人はそんなにいません。


志苔館は城でなく館である。


戦国時代にも館の主が大勢の家来を連れて有利な戦いをしている方に味方し、土地などの分け前にあずかっていた。


A-2_20190920163301

2-2_20190920163301


函館山の左前方に見えるのは青森県


A-2_20190920163301

志苔館が出来たのは、


康正2年(1458年)、志苔付近にて蝦夷(アイヌ)の隆起あり、初代の館主小林太郎左衛門尉良景は戦死した、後にその息男小林弥太郎良定が継いだ。


この頃は戦国時代で織田信長、武田信玄、今川義元が川中島の戦いや桶狭間の戦いで、日本は隣村との戦いに明け暮れていた。


これより少し後(1596年)、福山の住人、八木勘右衛門がオタルナイ(小樽市)に入り、和人として初めて漁業を営むが、やはりここでもアイヌとの戦いがあった。


その後再び永久9年(1512年)館主小林次郎李景は蝦夷の闘いで戦死した。館は陥落し廃墟となった。


222-2_20190920163501

郭外遺構


郭外には、主に外敵からの防衛を目的とした壕、土塁、門、柵、それに橋が配置されていた。壕は土塁の四方に巡らされている。


2222-2_20190920163601

22222-2_20190920163601

222222-2

館の開口部に当たる西側には、二重の壕が掘られ、北、東、南側は自然の沢を利用して壕としていた。


土塁は長方形で高さ4ないし5m、幅15ないし20mである。


東北隅には井戸跡もある。


2222222-2

志苔古銭


古銭は1・2号甕に37万7,449枚、3号甕に6万6,987枚、合計37万4,000枚以上あったが、発見の際の散逸を合わせると推定45万枚から50万枚はあったであろう。


銭種は94種類で不明銭が1万枚以上あるが、最も多いのが北宋銭で88.1パーセントを占めている。


古い年代の銭貸名としては前漢の四銖(しゅ)半両、五銖、新の貨泉、唐の開元通宝、乾元重宝で、日本の皇朝銭が12種の中の8種あり、和銅開弥(飛鳥)、万年通宝(奈良)、神功開宝(奈良)、隆平永宝(平安)、富寿神宝(平安)、承和昌宝(平安)、貞観永宝(平安)、延喜通宝(平安)と、飛鳥から平安のものが含まれている。


22222222-2

志苔館は何もないところですが、函館に来たときは是非見学して下さい。

 

9月ラン&ウォーキング日記

①9月の目標 75万歩

1日25.000歩(20.0km)

②9月 20日の実積
25.316歩(20.3km)

③9月トータル
622.410歩(497.9km)

④達成率82.3%


今日も皆様にとって素敵な1日になりますように!

| | コメント (0)

2019年8月24日 (土)

我が町の今昔物語・光風館

札幌市手稲区富丘に札幌近郊では最高の温泉旅館、光風館があった。定山渓でさえ1軒よりなかった時代である。

明治26年(1893年)11月3日に小樽の東幸三郎が開業したもので、当時は竜宮城にたとえられるほど豪華な温泉旅館でした。

昭和の初期には徳川喜久子(とくがわきくこ)姫(昭和5年に18歳で高松宮妃となる)が学生のころ、夏休みをここで過ごされた。

高松宮宣仁親王は大正天皇第三皇子


111-2_20190824175501

当時の光風館は国道5号線から石畳の舗装道路があり、道路の淵はスズランの群生地で季節になれば香ばしい匂いが漂っていた。交通機関は4輪の乗合馬車であった。

光風館への道

1111-2_20190824175501

陸橋を抜けると光風館跡を見ることが出来る。


11111-2_20190824175601

他に、大正11年(1922年)12月に海賊の江連力一郎(えづれりきいちろう)が軽川駅で逮捕された時に、直前に宿泊していたのが光風館ということでも知られるようになりました。
富丘今昔物語・手稲開基110年誌手稲の今昔参照・非売品 
光風館

1-3_20190824175601

11-2_20190824175601

昭和15年(1940年)頃には経営困難となって閉鎖された。
その後、昭和30年(1955年)に小寺アキによって、新しく手稲温泉北家として復活し、三眺荘・ヘルスセンターがとなりで営業していましたが、昭和50年に廃業しました。建物はしばらく残っていましたが、これも平成6年(1994年)に火災にあって失われました。

 

 8月ラン&ウォーキング日記


①8月の目標 75万歩
1日25.000歩(20.0km)

②8月24日の実積
25.969歩(20.8km)

③8月トータル
678.439歩(542.8km)

④達成率87.5%

| | コメント (0)

2019年6月 6日 (木)

札幌市藻岩山山麓に謎の壕跡

札幌市中央区の藻岩山の麓で、旧日本軍のものとみられる石造りの構造物が姿を現した。

60年以上前から同じ場所にあった可能性が高いが、夏は雑草、冬は雪で覆われ、人目に付きにくかった。

地元住民の間で、「何が入っているのか」と話題を呼んでいた。

1-4


この構造物は、第3山鼻祭典区会館の裏側にあたる藻岩山の麓の斜面。

入り口は縦約70センチ、横約1mで厳重にふさがれており、
奥行は不明だ。

山鼻地区に住んで居られる方が、偶然気づいて市に連絡した。市によると、市の管理地であるが、防空壕があったと言う記録はない。

崩落の危険性はないので、埋設は予定していない。

一方、以前からこの構造物の存在を把握していた札幌の市民団体「札幌郷土を掘る会」は、「市内には敗戦直前から軍事物資を隠すために作られた壕が多数あり、これもその一つでは」と推測。

物資を運び出した後、厳重にふさいだとみる。

いつ、誰が、なぜ作ったのかわからないことばかりです。

中に何が入っている?

黄金か?


6月ラン&ウォーキング日記

①6月の目標 75万歩
1日25.000歩(20.0km)

②6月6日の実積
39.810歩(31.8km)

③6月トータル
183.893歩(147.1㎞)

④達成率24.5%

清々しい初夏を迎え、草木も日増すごとに色濃くなってきました。
皆さん如何お過ごしですか。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

dポイント ISO認証 W杯ジャンプ いじめ おたるドリームビーチ お正月 お盆 たばこ アメリカミンク アルコール イチゴ インターネット記事 ウオーキング ウオーキング大会 エゾシカ エゾリス オジロワシ オリンピック カラス キタキツネ キノコ クリスマス クローバー ゲテモノ ゲテモノ料理 コウライキジ コロナウイルス ゴミ サケ サンゴミズキ サンセットビーチ銭函 ジャガイモ スイカ スポーツ スマホ スーパーマーケット タバコ タンポポ ツツジ トイレ ニュース ハマナシ ハマナス ハロウィン バイオリ二スト パソコン・インターネット フキノトウ ブドウ ブログ プロ野球 ヘビ ペット ホンダSクーペ600 ポイント ポイントカード マガモ マダニ マラソン ヤモリとイモリ ラグビー ランニング ラン&ウォーキング レストラン 不倫 中国 中国野菜・加工食品 中秋名月 事件 事故 交通事故 伝説 健康 公園 公衆トイレ 冬の訪れ 冬囲い 凍傷 初雪 前田森林公園 労働者 動物 化学 北朝鮮 北海道新幹線 医学 医療 医薬品 原発関係 台風 吹雪 園芸 墓参り 大リーグ 大晦日 大気汚染 大相撲 天気予報 夫婦 季節 学問・資格 孫娘 宇宙 安全衛生 宝くじ 家庭菜園 家族 小さな親切 小樽市 小説を読んで 尖閣諸島 山菜 希少価値 心と体 心霊スポット 恋愛 懐かしき遥かなる思い出 戯れ記事 手稲山 排雪 放射性物質 故郷 文化・芸術 文学・教育 料理 新聞記事 方言 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 昆虫 映画・テレビ 春の目覚め 晩秋 書籍・雑誌 朝顔 木の実 札幌は雪国 札幌市 朽ちた家シリーズ 東日本大震災 果実酒 果物 桜の開花 桜満開 植物 樹木 歴史 歴史探訪 毒草 気象 気象・地震 河川敷 洞爺湖 洞爺湖有珠山ジオパーク 海外ニュース 災害 熱中症 爬虫類 狂い咲き 珍獣 環境・自然 環形動物門 貧毛綱 生物 男シリーズ 病気 病院 真夏日 真鯉 石狩新港 社会 神社 福島第一原発事故 科学 積雪量 空模様 童謡 端午の節句 競馬 笑い話 米国 紅葉 経済・政治・国際 絶滅危惧種 美術 老後 職場 自動車 自民党 自然 芸能・アイドル 菜園 訓練 話題 誕生日 読書 読書の時間 趣味 農業 逃げる女シリーズ 遊歩道 運動会 遺跡 酒類 野イチゴ 野ネズミ 野生動物 野草 野菜 野鯉 野鳥 釣り 雪景色 雪解け 電力 食事 食品 飲料水 駅伝 魚介類 鳥類